考えて、感ガエル。

たぶん、思ってる以上にはシンプルなよのなか。

好きなものリスト。

好きなものは、文字だけでもしあわせになれる。

本当に心がぶわってなったものだけ書いていく。実験。

 

星野源 ふふふってなる

高橋一生 ドキドキ

SUPER BEAVER ライブはまばたきすら惜しい

Schroeder-Headz 全部がきれいになる

LiSA 魂をぶつけてくるあの感じ

鮭ちゃづけ はじめて見つけたお気に入りの居酒屋さん

カメラ 自分を広げてくれた筆のようなもの

ヨガ 人間の肢体は美しさと哲学

雨上がりの晴れた朝 あのキラキラは朝にしかない

MY HONEY はじめておいしいはちみつを口にした

満島ひかり 一言でいうなら「これだ…!」

水樹奈々 あの頃に帰れる歌

出雲大社 はじめての出雲は帰って来たような感覚がした

まっすぐな気持ちをぶつけてくれること わかるからこそ泣けてくる

人が何かから抜け出せたのを見届けたとき わかるからこそ喜べる

飾らない人 本当にきれいだと思う

パン 雑貨に化けられるとどうしようもなくなる

画材 見てるだけでどうしてあんなにわくわくするのだろう

タイ料理 経験してきた味がひとつもない味がした

インドカレー カレーのくせに全部違う

江ノ島 ドキドキする思い出を知っている

 

 

21こ。

(随時更新 2017.7.7)

明日死ぬとしたらの話。

私は何もしないと思う。

という意見を頂くことがしばしばある。

ひとつだけ物申したいのは、この世で存在しないことは「ない」こと。

「ない」という言葉は、「ある」が前提で打ち消されるNOTのような働き。

つまり、何もしないということは現実的に不可能なわけで…という屁理屈。

まあ、特に死ぬからといって変わったことはしないってことなんだろうけどね。

何をしたって終わりは来るわけだし。

 

私が思うに、最後の1日ってやつは特別な時間の流れ方をすると思うんだよね。

長編漫画を読み返すみたいな。なんかもうすべてを受け入れちゃいそうな。

だからそんな1日と言わず、今からでもそんな気持ちで生きてみればいいってこと。

何をしたって終わりは来るんだから。

英語の話。

君はこの先もずっと日本にいるの?

日本語を話せない友人にそんなことを聞かれたんだけど、英語を話せるようになったら確実に日本を離れるかな、とグーグル先生に伝えてもらった。

この謎の確信力。

日本から離れるというよりは、出身は地球です。みたいな。

去年の冬にメキシコへ行ったとき、ひとりでサラダもぐもぐしてるときに突然男の人にスペイン語で話しかけられて、「このサラダはどこで買ったのか聞かれてる気がする…!」が本当に正解したとき、自分のSPECが覚醒したような気がした。

伝え方が9割って話もあるけれど、不器用でも真っ直ぐな気持ちがあれば、伝わるものは変わるんじゃないかなあ。

だから、伝えたいことは直接言うべきなんだ。

世界線の話。

興味はあるのに実際やらなかったことは、別の世界線の自分が実現してくれている。

そんな話をある本で読みました。

わりと何でもやっている私は、世界線を反復横跳びしているに違いないのです…

 

これでも流してきたことは結構あったりする。
ハンドメイド作家、漫画家、小説家、役者、声優、獣医…

「めっちゃやりたい!!」から「まあいっか」になるのがそうなのかなって勝手に思ったり。

途中でお腹いっぱいになったダンスも、別の世界線で成功してるかもしれんよね。

 

そう思うとめっちゃわくわくしません?

どうせなら反復横跳びしつつ他の世界線にお邪魔して、いろんな景色を眺めたい。

高校2年時の反復横跳び学年2位の実力を生かして。

脳内ナレーターの話。

誰しもが脳内にナレーターがいて、目に見える文書はそいつが勝手に読んでくれる。

喋り口調入れたり、ですますしたり、ネタ?を混ぜたりすればまた雰囲気は変わるんだけどね。

個人的にはである口調が書きやすいんだけど、文字の色温度がどんどん下がっていく…つまり、なんか冷たい感じ。

それを雑に朗読して再現してくれてるのが、脳内ナレーターさんなのである。

人生の大半をそれと共に過ごしていることに私たちは気付いていない。

もし、自分の声を聞くと気持ち悪く感じる理由を知ってしまったら…あなたはもう元の生活には戻れないかもしれません。自己責任でお願いします。

しかし地球人は容易い。

これなら宇宙人が隣に立ってても気付かないよね。

文字数の話。

ブログは300文字くらいを継続するのがいいらしい。

高校生の頃は日記を書くために生きていたくらいで、楽しくなってくると凄まじい文字数になっていたことを思い出す。

草生い茂る疾走感が特徴でした。

 

ところで、300文字で何が伝えられるだろうか。

300文字でその日の出来事を羅列した文章を誰が読みたいと思うだろうか。

というか、300文字でわざわざブログを開く理由を作れる人生送ってなかった。

 

疑わしき300文字なので、グーグル先生にお尋ね申す。

結論からすれば、要は内容ってことらしい。

そろそろ300文字に到達しそうなんだけど、言いたい事も言えないこんな世の中じゃ POISON。

歯切れの悪さが今の実力。

ヨガの話。

ヨガのことをちゃんと知っていた訳じゃないけれど、ヨガの認知のされ方には違和感を持ってました。
とはいっても、入り口はなんだっていいんじゃないかなって思うわけで。入り口は商業ヨガでも、気付く人は気付くってやつかな、なんて分かった風な気持ちでいたのが私です。


ヨガを好きになったのは、本当にヨガに助けられた時期があったから。
行けばわかるんだけど、ヨガスタジオでインストラクターさんが口にすることは基本的には身体への指示のみ。この指示スキルが、人体への理解の深さなのだと思う。

60分のクラスの最後に、汗だくになった身体を横にして目をつぶる。静かになった部屋の中で過ごすほんの少しの無の時間。数分間の暗闇から意識を起こすために、インストラクターさんが話し始める。

「今日ここまで頑張ってきた自分」

語られた中にそんな言葉がありました。
これだけ心に刺さって他は耳に入ってこなかったんだよね。そして、この言葉が私を生かしてくれました。

ずっとずっと一人で頑張って来たと思ってたし、味方なんていなければ、自分を受け入れてもらえることなんてない。そう思ってた自分の存在に初めて気付いた瞬間でした。

よくわかんない感激のようなものが溢れて、何でもないはずのヨガのクラスで、私は初めてヨガに触れたのでした。


当時もいろんなことやってるんだけど、ヨガは生涯やるかなって決めたのはこのとき
2013年?
かといって今に至るまで勉強したわけでもなければブランクの期間もあるんだけど、そろそろ中途半端にやってないでちゃんと勉強したいと思ったときに、ちさちゃんに出会いました。
そして、マスター・スダカーに出会いました。


一言でいうなら、「何でもないはずのヨガのクラス」をしない先生です(笑)
そんな先生から、4月28日から5月7日まで、ヨガのティーチャートレーニング(前半)を受けて来ました in 京都。
ヨガに何度も何度も通ってたまーに得ていた心の気づきを、1日でいろんな形いろんな角度から教えてくれるのがマスターでした。

身体と心へのアハ体験もあれば、自分がただ逃げていたことに正面からぶつからせてくれたり、大丈夫だという勘違いから目を覚ませてくれたり。
シータヒーリングは自分が生きにくくしてる原因をほどいていくわけだけど、生きやすくする理由は何なのかってことをすっかり忘れてました。

外側に働きかけて初めて意味があるということ。
行動しないと意味がないって何度も教わってたはずなのに!
ここ半年くらい変な分析癖がついてしまっていて、人としての在り方に怠慢さが…


今回の修行はまだ前期の100時間なので、後半の学びに向けて新しい自分をエンジョイしながら迎えられたらと思っています(*´꒳`*)