考えて、感ガエル。

たぶん、思ってる以上にはシンプルなよのなか。

「謝る」ということ。

ふと「謝罪」について思い浮かんだので、書き留めようかなと。

何を隠そう私は「聞いてもいない理由を聞かされること」が大嫌いなのです。この世で一番興味がないことかもしれません。本人は言い訳のつもりでなくとも、優先される感情の方向でそれはいくらでも言い訳に化けてしまう。

何か過失をしてしまった場合、何を一番優先すべきで、何に一番気持ちを入れるべきであるのかが重要だと思うのです。

過去の喧嘩に今でも引っかかりがあるとすれば、謝罪よりも悲劇のストーリーを聴かされたこと。伝えたいことは、そこなの?

仕事の失敗なんかでは、すぐにその失敗を上書きしていかなければいけません。信用を取り戻すために、聞かれてもいないお話を語る時間なんて存在しません。求めることは誠意だけ。友達との約束レベルでも、同じことは言えると思います。

言い訳をしてしまう原因として、多くの人は自分への評価について考えてしまいます。理由を言わないと後で何言われるか分からない…嫌われてしまうかもしれない… 結局それは「あなたが思ってるほど私の罪は重いものではないんですよ」という主張に過ぎないんです。

ここでは追求しませんが、何をしても許される人とそうでない人の違いにはこの思い込みの有無が関わるものと私は仮説を立てています( ´-`)

いろんな人がいるので、家庭環境によっては謝り方を知らない人は存在します。単に叱られた経験がない人、謝る隙を与えてくれない環境や恐怖心を強く植えつけられてしまった人。謝っても裏で悪口を言われる経験をした人は、自分を正当化してあげることでしか自分を救ってあげられません。

やはりまず大事なのは、「聞いてあげること」なのかもしれません。

そして、理由を話すよりも「ごめんなさい」の誠意を示すことが相手への思いやりってことを教えてあげましょ( ˘ω˘ )

 

追記:「言い訳」が主体の人は「理由を聞くこと」で満足する傾向にあるかもしれません。それは誠意の見せ方に影響してくるとは思うのですが、うーん、どうなんでしょう…八方塞がりですw