考えて、感ガエル。

たぶん、思ってる以上にはシンプルなよのなか。

会話の話 その②。

続きです。(http://byu-sunday.hateblo.jp/entry/2016/05/14/224422)
前回は「言葉は贈り物」ということを話しました。
しかし、どんなに悩んで選んだ言葉でも、相手に上手く届かない場合があるのです。

「何でも話せる関係」というものは、とても魅力的です。
そのような理想の関係を目指すことが、関係を築くにあたって大切なことである…と思っていた時代が私にもありました。
理想の関係というものは気付けば叶っているものであり、なることを目的にすることは良くないことかもしれません。


高校時代の某友人Nとは出会った当初から現在まで、非常にストレスフリーな関係です。
適当な言葉を気持ちよく適当に返してくれます。ツッコミを入れることもあれば、ボケに回ることもあります。そしてボディランゲージな会話が多いです。非常に自由な言葉のやり取りが出来るのです。
これは、相手が私にもそういう反応を求めていて、摩擦がない状態だからなのだと思います。

では、こちらが聞き手である状態が良好な関係で、あえて変えようとした場合どうなるのでしょう。
どうしたことか、同意を求めているわけでもないのに否定されたり、話題を奪われてしまうという経験が多くあります。
私の場合、相手が「話を聞いて欲しい人」であることがほとんどです。そういう人たちが集まりやすい体質のようです。
単に反応が微妙だったりする場合、相手が慣れてないだけかもしれないですね(笑)

ここで生まれた拗れは、やがてストレスに変わっていきます。
更に放置し続けると、関係は悪化します。
もし、某友人Nにいつもしないような会話のやり取りを求めた場合、もしかしたら問題が生じてしまったかもしれません。


そこで最終的にどういう状態であるべきなのか、に辿り着きました。
どんなに仲良くなっても「多くを求めないこと」です。「こうだったらいいなあ」程度に留めておいても、最良な関係は築けるはずなのです。
もちろん決めつけや、壁を作ることとは少し違います。ちょっと変化球な言葉の贈り物をして、違うなって思ったら無理をしないことなのです。それが相手が求めたことであっても、です。
順応性が高い人は別ですけどね(笑)

思えば某友人Nに、単なる言葉の投げ合い以上を求めたことはありませんでした。
オールAを相手に求めることは、不毛なことです。人は完璧ではないことは、私たちはよく知っています。
だからこそ見返りを求める言葉の贈り物はよろしくないのです。
何事も愛を込めて、が大事ということですよ( ˘ω˘ )



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思えば一体どうしてこうなったか…
旧友に「まなみもいろいろ話をして欲しい」と言われて、言える流れでしか話さなかった内容も話題として繰り出すようにしたんです。
そしたら、その旧友が結構否定的・知ってるアピールが強い・すぐに自分の話に持っていく等々で、ちゃんと話が最後まで出来ないことに気付いてしまったのです…
思い付きで話す内容も微妙な反応です。基本的には自分に興味を示して欲しいタイプなのだと思います。
言いたいことあったら言ってねと言われても、中途半端にしか話せなそうです…残念ながら。

私は相手がどのような言葉の贈り物をするタイプか、なんとなーく把握することが出来ます。そして大抵ストレス無く、相手に合わせることが出来ます。
これを無理して変えようとしたことで互いに急な変化についていけなかったのかもしれませんね。

こういうのは人によって様々で、これをうまーく感じ取り、心地良いバランスに寄せて行くことが良好な関係を続けるコツなのかもしれません。
でも、あえて拗れを作ることで関係をパワーアップすることも…大事ですよね(笑)
人は自分を写す鏡と言うように、もしかしたら私も人に対して同じようなことをしていたかもしれないと自省しております…改めて気付けたことに感謝!!
そして言いたいことを邪魔されずに放てるこの環境に圧倒的感謝です( ˘ω˘ )