考えて、感ガエル。

たぶん、思ってる以上にはシンプルなよのなか。

英語の話。

君はこの先もずっと日本にいるの?

日本語を話せない友人にそんなことを聞かれたんだけど、英語を話せるようになったら確実に日本を離れるかな、とグーグル先生に伝えてもらった。

この謎の確信力。

日本から離れるというよりは、出身は地球です。みたいな。

去年の冬にメキシコへ行ったとき、ひとりでサラダもぐもぐしてるときに突然男の人にスペイン語で話しかけられて、「このサラダはどこで買ったのか聞かれてる気がする…!」が本当に正解したとき、自分のSPECが覚醒したような気がした。

伝え方が9割って話もあるけれど、不器用でも真っ直ぐな気持ちがあれば、伝わるものは変わるんじゃないかなあ。

だから、伝えたいことは直接言うべきなんだ。

世界線の話。

興味はあるのに実際やらなかったことは、別の世界線の自分が実現してくれている。

そんな話をある本で読みました。

わりと何でもやっている私は、世界線を反復横跳びしているに違いないのです…

 

これでも流してきたことは結構あったりする。
ハンドメイド作家、漫画家、小説家、役者、声優、獣医…

「めっちゃやりたい!!」から「まあいっか」になるのがそうなのかなって勝手に思ったり。

途中でお腹いっぱいになったダンスも、別の世界線で成功してるかもしれんよね。

 

そう思うとめっちゃわくわくしません?

どうせなら反復横跳びしつつ他の世界線にお邪魔して、いろんな景色を眺めたい。

高校2年時の反復横跳び学年2位の実力を生かして。

脳内ナレーターの話。

誰しもが脳内にナレーターがいて、目に見える文書はそいつが勝手に読んでくれる。

喋り口調入れたり、ですますしたり、ネタ?を混ぜたりすればまた雰囲気は変わるんだけどね。

個人的にはである口調が書きやすいんだけど、文字の色温度がどんどん下がっていく…つまり、なんか冷たい感じ。

それを雑に朗読して再現してくれてるのが、脳内ナレーターさんなのである。

人生の大半をそれと共に過ごしていることに私たちは気付いていない。

もし、自分の声を聞くと気持ち悪く感じる理由を知ってしまったら…あなたはもう元の生活には戻れないかもしれません。自己責任でお願いします。

しかし地球人は容易い。

これなら宇宙人が隣に立ってても気付かないよね。

文字数の話。

ブログは300文字くらいを継続するのがいいらしい。

高校生の頃は日記を書くために生きていたくらいで、楽しくなってくると凄まじい文字数になっていたことを思い出す。

草生い茂る疾走感が特徴でした。

 

ところで、300文字で何が伝えられるだろうか。

300文字でその日の出来事を羅列した文章を誰が読みたいと思うだろうか。

というか、300文字でわざわざブログを開く理由を作れる人生送ってなかった。

 

疑わしき300文字なので、グーグル先生にお尋ね申す。

結論からすれば、要は内容ってことらしい。

そろそろ300文字に到達しそうなんだけど、言いたい事も言えないこんな世の中じゃ POISON。

歯切れの悪さが今の実力。

ヨガの話。

ヨガのことをちゃんと知っていた訳じゃないけれど、ヨガの認知のされ方には違和感を持ってました。
とはいっても、入り口はなんだっていいんじゃないかなって思うわけで。入り口は商業ヨガでも、気付く人は気付くってやつかな、なんて分かった風な気持ちでいたのが私です。


ヨガを好きになったのは、本当にヨガに助けられた時期があったから。
行けばわかるんだけど、ヨガスタジオでインストラクターさんが口にすることは基本的には身体への指示のみ。この指示スキルが、人体への理解の深さなのだと思う。

60分のクラスの最後に、汗だくになった身体を横にして目をつぶる。静かになった部屋の中で過ごすほんの少しの無の時間。数分間の暗闇から意識を起こすために、インストラクターさんが話し始める。

「今日ここまで頑張ってきた自分」

語られた中にそんな言葉がありました。
これだけ心に刺さって他は耳に入ってこなかったんだよね。そして、この言葉が私を生かしてくれました。

ずっとずっと一人で頑張って来たと思ってたし、味方なんていなければ、自分を受け入れてもらえることなんてない。そう思ってた自分の存在に初めて気付いた瞬間でした。

よくわかんない感激のようなものが溢れて、何でもないはずのヨガのクラスで、私は初めてヨガに触れたのでした。


当時もいろんなことやってるんだけど、ヨガは生涯やるかなって決めたのはこのとき
2013年?
かといって今に至るまで勉強したわけでもなければブランクの期間もあるんだけど、そろそろ中途半端にやってないでちゃんと勉強したいと思ったときに、ちさちゃんに出会いました。
そして、マスター・スダカーに出会いました。


一言でいうなら、「何でもないはずのヨガのクラス」をしない先生です(笑)
そんな先生から、4月28日から5月7日まで、ヨガのティーチャートレーニング(前半)を受けて来ました in 京都。
ヨガに何度も何度も通ってたまーに得ていた心の気づきを、1日でいろんな形いろんな角度から教えてくれるのがマスターでした。

身体と心へのアハ体験もあれば、自分がただ逃げていたことに正面からぶつからせてくれたり、大丈夫だという勘違いから目を覚ませてくれたり。
シータヒーリングは自分が生きにくくしてる原因をほどいていくわけだけど、生きやすくする理由は何なのかってことをすっかり忘れてました。

外側に働きかけて初めて意味があるということ。
行動しないと意味がないって何度も教わってたはずなのに!
ここ半年くらい変な分析癖がついてしまっていて、人としての在り方に怠慢さが…


今回の修行はまだ前期の100時間なので、後半の学びに向けて新しい自分をエンジョイしながら迎えられたらと思っています(*´꒳`*)

感じ方。備忘録。

今の”感じ方”を書き残して保存しておきたいな~ってタイミングで時間のかかる上書き保存がはじまります。まみさんです。

聞いてください。
卵かけごはんってあるじゃないですか。TKG。
ごはんに卵をかけるのがスタンダードでしょう?
じゃあ逆に卵にごはんをかけるってどう思います?
GKT。

唐突にどうしたって感じなのですが、今の感じを例えるならそんな感じ。
変な感じがしてきたのは恐らく先週から。
特に大きい出来事なんてものはないんだけど、すごく変な感じなのね。

これが分からなくて知りたくて言葉にも出来なくて、この状態を客観視したくて人にぶつけてみるものの何もわからず。
でもね、ひとつ絶妙な表現が見つかったんです。

ダンジョンから出てレベル1になった。

チョコボの不思議のダンジョンしかやったことないんですけど、シレンやトルネコなど当時のダンジョン系ってそういうシステムがあったんですよね。(調べた)
今まで楽勝に倒せた敵に攻撃がまったく通じなくなるわけですよ。
でも会得した特性だけは引き継いでるかのような。

あとサーバーという概念。
これはオンラインゲームの話なのですが、1つの世界にユーザーが集まってるわけじゃないんですね。まったく同じ世界がいくつか用意されていて、最初にそれを選択してから遊ぶのです。
簡単に説明すると、同じ地球にいるけど人が違うってことが起こります。

リアルな世界はゲームとは違うので、そもそもレベルなんて分からないし、地球がたくさん存在しているという概念はないわけで(あったら面白いよね、くらい)、いきなり切り替わられると非常にビビるわけです(⊙⊙)

これを読んで下さっている人からしたら、こいつはとうとう行くところまで逝ったか…って感じですが、今では新しいサーバーでレベル1からゲームを楽しもうって気分に落ち着いてます(笑)

さて、このご飯かけたまごの世界で何して遊ぼう🥚

カメラの話。

cp+に行ってきました。
行くようになってから今年で3年目。

単純にカメラが好きというのには変わりはないのだけれど、
初めての頃というのは、何もかも分からないものなのです。

当時に比べたら本当にたくさんお話できるようになりました。
すごいよ。相手の言ってることが分かる。そこでまず感動。
何も知らないとね、単語は知ってるけどなんなのかよく分からないからやめて!!ってなるの。
初心者相手は初心者向けのモノしか説明してもらえないっていう思い込みがありましてね、私はそれがとにかく嫌だった。
希望としては、全部説明してもらって、理解できた範囲のものを自分で選びたい、みたいな。
どの程度自分が理解してるのかも自分で知っておきたい、みたいな。めんどくさ~(笑)
でも知識が中途半端だと自信がないから、知ったかぶりをしてもすぐに粗が出る。
だからカメラに詳しすぎる人とカメラについて話すのは凄く嫌いだったよ~。
どのジャンルでもだけど(笑)
まるで教科書に意地を張っていたようなあの頃。懐かしい。


自分が知らないシャッター音の心地よさと、ずっしりした重み。
「とりあえずこれは凄いものなんだ…!」
自分の持っていたカメラを基準に"凄い度"を見て歩く。それだけで楽しい。
持っているメーカーのを見るとなお楽しい。

たくさんの黒いオブジェクトは、カメラという名詞が付くだけでかわいいと思える。
写真よりもカメラを愛しているに違いないと思える人がいたお陰で、それは自然に受け継がれているという。

何がどう凄いのかとか、他のメーカーと比べてどうなのかとか、そういうのはまったく分からない状態であったとしても、カメラを知ってる人たちがしているカメラの話をただ聞いてるだけで、それらの知識はどんどん自分のものになっていくのですね。


そうそう、カメラ始めて1年も経ってないのに、今のカメラも使いこなせてないのにもう一台ってどうなんだろうって相談受けたことがあるのね。

どんな条件の相手であれ返答は「欲しければ買えばいいと思う。」

あのカメラを使えば今より上手くなるかもって理由だったら買うべきじゃないよ~みたいに一般論はいくらでも並べられるけど、もっと簡単なことがあってね、買ったあとの自分を想像してもらうのよ。
その姿にメリットしかないなら買わない理由なんてないでしょう?
まあ、そこのメリットに自信がない人が相談してくれるわけなんだけどね(笑)

そこら辺を見据えて、本当に悩んでるところを浮かび上がらせてあげる。
すると何を考えるべきなのか本人が自覚出来ます。
残念ながら、悩みの根っこというのはカメラとは関係ないところにあります。
それも最初からお見通しなわけなので、単純にはいかないのも分かるわけです。

写真が好き、楽しいって気持ちがあるなら、それを持ち続ければいいんですよ。
そのうちいろいろわかって来るから。本当に。