考えて、感ガエル。

たぶん、思ってる以上にはシンプルなよのなか。

話したいことを話したい。

例えば、記憶がないものをどうして事実だと言えるのだろうか。
例えば、見えていないものがわかるとは一体全体どういうことなんだろうか。

シータヒーリングというものを通して、物理世界と精神世界の関係性を否応なしに見届けるようになって、あえて哲学に立ち返る面白さに気付いてしまったお年頃。
哲学というものは、考えても人生においてしょうがない。
考えるのが楽しい人が真剣にやるひとつの学問。
そう思っていた時代が私にもありました…

高校の倫理の授業では「哲学深いな~スゴいな~」とワクワクした気持ちでいたのだけど、まともに向き合うと哲学者の言葉はとても真面目になかなか意味不明。
そんな私がざっくり人に説明出来る程度に理解できる唯一の哲学者がプラトンさん。
「みんな犬を知ってるけど、犬そのものを見たことはないよね?」
「(⊙⊙)」
この説明が私には衝撃的で、確かに種として全部違うのになんで区別できるのか本当に分からなくて、それはまるで世界の秘密を知ってしまったかのような気持ち。


最近はとある仮説を検証すべく、ソクラテスごっこをよくしています。
ざっくり説明すると、人はとある感覚・概念を眠らせていて、それを目覚めさせることが可能なのではないかということ。
だって何人かの友人たちが体現してくれてるんだもの。自覚あるのかはわからないけど。
難しいことは出来ないんだけど、いろんな人と深い話をしていったら面白いことを発見出来るのかもという興味でお喋りしてきました。昨日の話。

私を含め5人で神話から政治の話まで幅広く3時間半ぶっ通し… 私を含めてみんなの専門性は低い。けれど知恵を使って会話をする。知らないことに対して知恵をしぼって考察し、理解する。否定はなくいろんな考え方や経験があふれ出す。そこからまた考えていく。
これをソフィストごっこと呼べるのかは知らないけれど。
私はこの「知恵」に重大なヒントがあるのではないかと睨んでいる。 ざっくりワケのわからないことを言うと、知恵を使う癖がつくと、見えないものを知覚出来るようになるってお話。あと物事の理解が直感的になる。もっともっと分かりやすく言うなら、スプーン曲げみたいな。経験が理解に追いつかない。これに関わりそうな文献をもし知っていたら教えてください(笑)

今回の集まりは想像以上にみんなも楽しんでくれたため、私が何も言わずとも次の開催が決まりました。
ちょっとずつ世界の秘密を共有していくことになりそうです。