コミケでした。
夏です。コミケです。
参加する人は当日に汗水垂らす日。
出展する人はそれまでに汗水垂らす日。
しかし水分の循環は人気に比例する。
私もさりげなく出展してました。
心は潤っています(さてどういう意味だろう)
「うぃじー×うぃじー」というサークルで、描いているのはLiSAというアーティスト。
ポップでデザイン主体のオリジナルイラスト。たまに絵のテイストは浮気する。
2年間「アニメ(その他)」のカテゴリでブースを出してたけど、今回で最後かな。
私は自分で興奮出来る何かを作りたいのです。
だから今年はもう終わり。欲望を煮込みます。
サークルメンバーは私だけなので、私と私と私で会議した結果、半年前から決めていました。
LiSA描かなくなるわけじゃないから安心してね。
そうそう、今年はなんと初めて普通にコミケに来たんです。軽装で、りんかい線に揺られて。
しかし凄いね、中に入ると保温性バツグン。ゆっくり身体が温められて湯気が出る。
みんなコミケって知ってた?
私は今日初めて知ったのかもしれない。
知り合いのとこと気になってたとこのブースだけをモチベーションにして出掛けたのだけど、ゆっくりいろんなサークルを眺めて歩くのはとても楽しかった。
暑いしなあと思いながらも、来てよかった。
たくさんの人が自分の「好き」を形にして待っていて、自分の「好き」を求めてたくさんの人がやってくる。
大事なこと思い出せた気がするよ。
そう言えば8月前半は勝手に夏休みにしました。
予定をほぼ入れない連休は何年振りだろう。
敬愛する師が言っていたのだ。
「1年のうち1週間はゆっくりする日を作れ」と。
さすがに7日間連続でゆっくりは難しいけれど、ここ何年も身体を壊した経験は無いけれど、休むことって大事なんだね。みんな休もう。
会話の話 その②。
会話の話 その①。
「自分探し」のこと。
名前の話。
理想の範囲について。
突然ですが、私はなりたいと思ったものには絶対なれるものだと思っています。すべて、一応、不可能なことではないと思うんです。
今「じゃあ猫になりたいって思ったらなれんのかよ~」とか思いませんでした?笑
それは本心じゃないと難しいかも…でも冗談抜きで思ってる人は叶うと思いますよ。
というのも、意外な形で実現してしまうとか、そういう風に捉えれば確かに叶っている、のようなことはあると思うんです。例えば劇で猫の役をやったら…はたまた来世で猫になっていたら…それは一応叶ったことになっちゃいますよね?
人が持つ「なりたいもの」は全員違います。
あなたがなりたいと思うものは、それを実現することを許されています。
「理想」ってどこから生まれると思いますか?
親を見て、尊敬する人を見て、好きなスポーツ選手を見て…いろいろありますよね。
「自分もやりたい」と「自分にはちょっと…」の違いはどこから出てきますか? なれるかなれないかの違いではないですか?
例えば歌手になりたいと思ってる人は、まずそれだけで歌手の才能があると言いたいわけです。もちろん道のりは人それぞれですが、願った瞬間、その人専用の人生のルートが組まれるのだと思います。
少し抽象的なイメージにはなりますが、人生のルートが可視化されたとしたら、人の思考の動きに対応して常に目まぐるしく変動しているものです。時に優しく、時にいじわるな生き物、これがいわゆる運命というものですよ。
「なりたいもの」という切り口で入りましたが、それはすべて人の思考に影響されます。たくさんの思い込みが邪魔をして理想を遠ざけることもしばしばあるでしょう。
運命とはとても素直な生き物です。素直すぎて厄介なんです。まるで自分が魔法を使ってるかのように、簡単に言うことを聞いてくれます。
しかし多くのことはこの世界に生まれたときに常識やルールとしてある程度のものが気づいたら刷り込まれています。人生そううまく行くもんじゃない。まったく嫌な思い込みが入れられてしまったものです…
ダイレクトに運命に働きかけることが出来るようになったらどんなに幸せか(笑)
自分を否定するものがすべて取り払われたとき、きっと出来ることなんだろうなって私は思っています。
だから、なりたいと思ったものには絶対なれるものなんですよっ
「謝る」ということ。
ふと「謝罪」について思い浮かんだので、書き留めようかなと。
何を隠そう私は「聞いてもいない理由を聞かされること」が大嫌いなのです。この世で一番興味がないことかもしれません。本人は言い訳のつもりでなくとも、優先される感情の方向でそれはいくらでも言い訳に化けてしまう。
何か過失をしてしまった場合、何を一番優先すべきで、何に一番気持ちを入れるべきであるのかが重要だと思うのです。
過去の喧嘩に今でも引っかかりがあるとすれば、謝罪よりも悲劇のストーリーを聴かされたこと。伝えたいことは、そこなの?
仕事の失敗なんかでは、すぐにその失敗を上書きしていかなければいけません。信用を取り戻すために、聞かれてもいないお話を語る時間なんて存在しません。求めることは誠意だけ。友達との約束レベルでも、同じことは言えると思います。
言い訳をしてしまう原因として、多くの人は自分への評価について考えてしまいます。理由を言わないと後で何言われるか分からない…嫌われてしまうかもしれない… 結局それは「あなたが思ってるほど私の罪は重いものではないんですよ」という主張に過ぎないんです。
ここでは追求しませんが、何をしても許される人とそうでない人の違いにはこの思い込みの有無が関わるものと私は仮説を立てています( ´-`)
いろんな人がいるので、家庭環境によっては謝り方を知らない人は存在します。単に叱られた経験がない人、謝る隙を与えてくれない環境や恐怖心を強く植えつけられてしまった人。謝っても裏で悪口を言われる経験をした人は、自分を正当化してあげることでしか自分を救ってあげられません。
やはりまず大事なのは、「聞いてあげること」なのかもしれません。
そして、理由を話すよりも「ごめんなさい」の誠意を示すことが相手への思いやりってことを教えてあげましょ( ˘ω˘ )
追記:「言い訳」が主体の人は「理由を聞くこと」で満足する傾向にあるかもしれません。それは誠意の見せ方に影響してくるとは思うのですが、うーん、どうなんでしょう…八方塞がりですw